渋谷、道玄坂にて

7月も終わりの時期になって、帰り道は渋谷の道玄坂で、汗だくの額をぬぐいながら、デコボコした歩道を革靴で踏み叩いて歩いていると、下水から流れてきたような汚物の匂いのする風がいつものように後ろからからだを包み、あちこちで発生する酔った若者たちの声が、のぼる先を見据えた姿勢に同調して、いい具合になった。ゴミと吸い殻だらけのいがんだ道でつくられたアジアの汚いこの都市を、いい感じだと自分は、はじめて思った。

先日、会合があって銀座へ行ったら、舗装された水平の道に、一斉に建てられたかのような秩序だったビルがならび、清潔で上品な人たちの服飾と靴音が立て続けにあって、別世界だった。昔このあたりで働いていた時はこれが正常だったはずだが、今ではこのプチブル的世界観は、破壊対象として人に妄想させる程度の、安っぽいシナリオにしか見えない。たかだか欧米文化に憧れをもって自己イメージの中で花を咲かせてるような人間しか歩いていない。

それと対比される渋谷の、安っぽく奇抜さをおしだした汗臭いファッションと、底辺的な若者たちの懸命な意匠と、対象化できない、アジアからの旅行者たちから飛び出す謎の言葉が、足元の悪い道や、コンビニの狭い熱気に溶けて、非常に居心地よく感じられた。発展途上国の都市の夜に漂うような、猥褻な感じがあり、存在はしないがどこかにあったはずの、懐かしい共通の記憶を呼び起こす。嘔吐したまま眠るサラリーマンと、原色カラーの髪色で騒ぐ若者らによるワキガくさい駅前の狂騒をすぎ、そこから始まる道玄坂の過酷な道を一歩ずつ登っていくと、肌がぬるく風に通り過ぎられるから、遠くから心が落ち着きを取り戻していくことになる。そのうちひと気がなくなり、夜の国道へ繋がれば、あとは静かに仕事帰りのスーツたちに混じって、住宅に消えてゆく。静かな一画がそこにある。ここでいったん、今日は終わる。静かな夜になって、また明日のことを考える。