某映画の感想

某映画、最初からずっと流れてる重低音が条件反射的に観客へその物語の消費の仕方を提示していて、「言表化し得ぬ不気味さ」「予測のできない不安」といった、当初期待していたものがなかった。せっかくの役者の演技の力が、それのせいで減じている。そもそも事前コピーからして、分かり易すぎるのだから、それをひっくり返して、もっと観客を掻き回して欲しい。無音でもよかったのでは…。

たぶんタクシードライバーキングオブコメディ的な古典が出た当初、それらは、これまでにない新しい映画だったので、人々に衝撃を与えたのだろう。だが今、この映画は、つよい意図をもって既存の枠組みを利用し、安易に人を誘導している。使い古された音楽形式で古典をラッピングし、当初むつかしかっただろう文脈を、分かりやすいテンプレートとして伝えようとしている風にみえる。それが退屈な時間を作っている。

他方で、時間の進捗に良質な感覚がある。パラノイア的な時間構成がシームレスで、まったく違和感を感じさせないところ、また、本人が、自分の妄想の妄想性に気付いても、そこへ意外に頓着してないところが、非常に素晴らしい。

そして、CreamのWhite roomが急に流れるところは、本当に爽快で心地よく、そこに至るためだけにもう一度映画を観ても良いくらい。小さな世界で繰り返しファタンジーに浸る、主人公の愛らしい笑顔が、なんとも胸をときめかせる。

ちょくちょく出るダンスがとても良い。音楽が、記号的で、残念だが…ネトフリ三昧の視聴者に記号的な脊髄反射を起こさせてどうするのか? 本来はもっと変化のある音楽…最初はよくわからん筒に抜ける音から始まって流れて、なんだ、ノイズ?と思わせといてから、楽しくポップして雑音に落ちる音楽がよかったな…ダンスシーンは!重低音はあとから混ざってもええが。しかしずっとあの調子でわかりやすく重いのぶつけてたら、もう動物じゃん。俺たちは動物でいいのか?

 

劇場で、他の人が笑ってないところで笑う主人公を見て、とても愛らしい気持ちになる。しかし、どうしてもかなしくなった。理由はわざわざ説明しないが。

 

朝から、台東区避難所路上生活者排除ニュースを見て怒りを感じながら劇場に向かった。何よりも、生活世界の具体的な顔たち、ニヤニヤして薄っぺらいことをいう顔が、当該ニュースに対して示すだろう笑いと無関心を想像してたらうんざりして非常に気分が悪かった。同型的に、分かり易すぎるキャッチコピーに、分かり易すぎる音楽で構成された退屈な記号の延長に、必殺 “劇場貧乏ゆすりおじさん” 化しそうではあった。しかし、主人公がけなげに踊る姿、パトカーの中から世界を眺める、炎が反映されたあの瞳を見てたら、世界に対して、ちょっと愛おしい気持ちがわいてきた。