空白の瞬間

真剣に一個ずつファンタジーをはがしていったら何も残ってないことに気が付いて、精神分析学の教える<現実界>を見た気がした。そこには<物自体>が生晒しで横たわっている。いや違う、それは横たわってさえいない。なぜならファンタジーを経由しなければ、「横たわり」なるものさえ生じないのであるから。「そんなことゆっててもなんも解決しないよ、お前も子供でも作ればいいよ」と言われたが、子供を担保に空虚を先送りにしてみても、ろくでもない生が見えるだけだ。いや、ろくでもなくさえない、そんなものは生じないのだから。もちろんそこは、子供を作らないとか、自分が子供を所有することの恐怖とか、あるいは嫌悪とか、そういったことの表明を通したナルシシズムも成立しない場だ。ぽっかりのぞいてるのだ。時間を延長してごまかしごまかし、やっていて何か、好奇心の先だけ見つめるようにしていたが…。好奇心が切れたとき、考えの忙しさが途切れてしまったとき、時間が停止しているのを見るとき。ぽっかりのぞいている。空白の瞬間だ。時間を意識せざるを得ない。ゆっくり秒針が、すすんでいる。この場で、止まっている。手になにもない。あっ。どうしよう、ってなる。タバコはうまくない。酒はしんどいだけ。食欲はない。

こういうケースもある。みずからをよみがえらせるためのガソリンは、殺意だ。しかしはたして、その殺意がむくわれることがあるのだろうか。殺意の倫理的性質上、むくわれないだろうことを見越したうえで、ごまかして到着地があるかのように、擬制しているだけなのではないだろうか、と。欺瞞的で、まったく己をだまし切れていない。だからこのケースはあまり使えない。刹那的だ。すぐ飽きる。同じことの繰り返しに見える。もう季節の変わるときの空気の匂いの違いも感じない。

f:id:yutoji2:20190403001052j:image